NO MAN'S LAND

もう東京公演は終わっちゃうんですねぇ…早い。
見てからだいぶ経っちゃったので簡単な感想を。
最初の客席からの登場、前列の人は大変だけど、たっぷりスモークで足元が見えない分、どこかの戦場を暗い中歩いているっていう雰囲気がすごく出て、客席との一体感が一気にきますね。真っ暗な客席の中で足元のスモークの部分だけが照らされているのが効果的。これは2階席で見たほうがすごくわかるかも。
で、いきなりの爆音、びびった…2回目もわかってるけどびびった。こえー。
舞台の上部はすごーくきれいな空と鳥の鳴き声まであって、のどかな戦前のこの国の風景で、下半分というか、塹壕はまんま塹壕、で水もなにもない荒れた世界。(唐突に平和な国が戦争になった感じとでもいいましょうか)
そんな中で、セルビア兵とボスニア兵の3人でのやりとりがつづくわけで、あるときはすごく敵意をむき出しにしてたり、あるときはちょっとしたきっかけで歩み寄ったりと、だけど、ちょっとした会話とか、自分の意見を押し付けようとすると、股対立になる。
この3人の関係とかその3人の精神状態が、そのまま戦争の姿みたいだし、その3人は戦争によって、そんな精神状態になってるしみたいな。あんまりうまくいえないけど。
「すべての民族が加害者であり、被害者」ってのが、そのままいろんな形で表現されてるんだろうな。
3人ではやっと均衡が取れて落ち着いてきたと思っても、第三者(国連であり、ジェーン)が介入することによって、またそのぎりぎりの均衡が崩れちゃったり。
どちらも向かっている方向は同じでも、考え方がちょっと違っただけで、相手を思わず傷つけちゃう(ニノはもしかしたら本心でみんなで助かろうと思ってたとしても、チキも3人一緒で助かりたい、でも今は逃げるんじゃないかという疑いがあったり)という。
普通に話してると、ちゃんと考えていて、ちゃんとノーと思ってるし、いけないと思っても、この状態の中だと普通でいられなくなる、というチキの言葉が、戦争怖さというか。
で、そこに外部から見ているマスコミとか国連というものが出てくると、そこにもっといろんな人の意図が介入してきて、報道の偏りとか、保身とか、とりあえずみたいな介入がもっとことをややこしくしてしまってどんどん被害者であり加害者は増えていくというか。
とまあ、抽象的な感想ですが、最後にツェラが起き上がるシーンは、その前に3人を次々に照らし出すライトが、マスコミのヘリからのライトであって、自分に当たったときに、世界にこの状況を知ってもらい、また自分が今ここにいることを家族に知ってもらうために、その瞬間に起きたのかなって。
まあ、とにかくわけがわからないルールが増えて、いろんな人の思惑が膨らむと、勝手に争いは大きくなっていって、精神状態も普通でいられなくなるというか、ツェラのように、気が付いたら平和な生活が戦場にみたいな、で、被害者って意識が大きいまま、知らず知らず加害者にもなってしまう怖さというかね。
とにかく坂本さんの今までのお芝居の中にはなかった世界だったし、その分良い経験にもなったと思うし、セリフとか、お芝居とかも良かった。
こういう経験を持って、次は歌い踊るミュージカルが見たいです〜。
あ、ジェーンの浅野様、アブ刑事を思い出しましたよ、この人の演技というか派手さは舞台でも映えるなぁ。