いのりとかいぶつ

大阪公演も終わったようで、これですべて終了。4時間超の舞台を日によっては1日2回、出ずっぱりではないにしても、とにかくお疲れ様です。
あのトビーアスともお別れかあ。
ご本人は次の舞台が決まってますが、こちらとしてはDVDであらためて確認したいこともあるので、ぜひ映像化お願いします。
んで、これでネタバレ解禁ですかね。
KERA版が12月のことなので、記憶があいまいな部分はあるので、ほかの皆様のつぶやきとか記事とかを参考に思い出してみると、
どちらも群像劇ではあるけど、視点を変えて演出するとこうもちがうのかと。
KERA版は目の前におこる数々の出来事の積み重ねの中でなにかを伝えようというか、感じてもらおうとしている気がして、見る人それぞれによって感じてもらえばいいといた、お客さんに託した感じがするんですが、蜷川版は、その中でもここを強く感じて見てほしいという意思があったのかなあ。
だから、KERA版はさらっとした流れが感じがしたけど(見る人の力が試されてる感じ)、蜷川版はもっとわかりやすく強弱とか感情を揺さぶられる感じというか。
そしてトビーアスですが、実際KERA版を通してみても、いったいどれを森田さんがやるのか?と思ってしまった。それくらい群像劇の中の1つのエピソードに感じたし、実際最期のシーンはすごくあっけなかった。

で、森田トビーアスは、主役ではなく座長という位置にしたことと、トビーアスを通じてドン・ガラスを人間臭く見せるためだったのかなあなんて。KERA版で覚えのなかったドンに直接「どうしてそんなにさびしい目をしてるんですか?」みたいな台詞を発した気がするんだけど、ちょっと自信ないけど、とにかく、そうかこの2人おばあ様が姉妹という血縁関(従叔父と従甥)だなーと思ったら、他の人間関係とはちょっと違って惹かれあう部分があったのかなと。
最初の気の弱い優しいトビーアスの恐ろしいほどのかわいさから、そんなやさしさとかという軸が残りつつも、というかだからこそそんな運命になって流されてしまったトビーアスがそこにいて、
そして、最後の殺されるシーンについては、あっけないと思ってたら雨の中、びしょ濡れの床の上に顔を突っ伏して、あばれ泣きじゃくるシーンを間近で見て、もうすごいとしか言いようがなくて、圧倒でした。すごい子ですわ、森田さん。
で、KERA版の戯曲本(早いうちに買ったのでKERAさんのサイン付き)を買ったけど、森田トビーアスのあの長い台詞部分がないんだよな。
あとは箇条書き(KERA版と蜷川版の違いで感じたこと)
・舞台セットがもうそんな意図で、全体でウィルビルの街の行く末をとらえていく感じと、その中で生きる人にフォーカスするためのセットの違い
・三姉妹はKERA版のほうがいいかな、いかにも三姉妹らしいと思ったけど、蜷川版重ねて見たら、三姉妹というか、エイモス家の娘たちらしいと思った。
・ドン・ガラスの圧倒感はKERA版なんだけど、勝村版の方が人間くさい感じで、それがお得意のコクーンの奥のドアを開け放って去っていく演出にあってた
・しかし、蜷川氏コクーンのいろいろな仕掛けを知ってるな
あとは、思い出したらそのうちまた。